陽気でよく喋るが内容が典型的な技術オタク。金銭的な執着もあまりない。ユーモアのセンスは素晴らしい。少年時代は引っ込み思案な性格だった。
大変ないたずら好きで、時には前述の電話のエピソードのように法律の枠を踏み越えてしまう事もあるが、悪意はなく、人を笑わせるのが好きなのである。
ハード・ソフト両面共に芸術的と称される設計センスで、Appleの社風に根本的なインスピレーションを与えている。Macintoshの開発者もApple IIで鍛えられた者ばかりで、広告用の学歴に「ウォズニアック大学」と書いた同僚がいた。
ウォズニアックが Apple社の設立に弱腰だったのを、ジョブズが「一度くらい失敗したっていい。それよりも、俺は一度会社を作ったことがあるんだぜといえることのほうが大切さ」といって口説いたというエピソードは有名である。
ジョブズがアタリの技師になったころ、ブロック崩しゲームである「ブレイクアウト」の設計を命じられた。 ジョブズは自身の手に余る仕事であることを認識。すぐにウォズニアックに助けを頼んで、2人は4日間の徹夜でブレイクアウトを完成させた。ジョブズは報酬の山分けをウォズニアックに提案し、アタリから受け取ったとする700ドルのうち350ドルを小切手にしてウォズニアックに渡した。しかし、実際にはジョブズはアタリから5000ドルを受け取っていた。後にウォズの知るところになるが、彼はたとえ25セントしかもらえなくても引き受けただろう、と語った。
また、1980年にアップルが株式公開をする際、株を持っていたのは創業者と一部のマネージャーだけであった。しかし、ウォズはストックオプションの権利を持たない従業員にウォズプランという形で、彼の所有分から1人2,000株まで買えるようにした。ジョブスやマークラは、この行為は間違っていると非難したが、ウォズは「おかげで家を買ったり、子供を大学に通わせたりできたと多くの感謝を受けた。やった甲斐があった」と語っている。
USフェスティバルを主催したウォズは、推定2000万ドルを損失したが、本人は大満足しているそうである。
”- スティーブ・ウォズニアック - Wikipedia