クソワロタ”
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昨年のトランスモーファーに続いて今年はメタルマンですかwこのトランスフォーマーという配給会社は毎度毎度楽しませてくれますね。御覧の通りアイアンマンの偽物ですので借りる際はご注意を。
さてそのメタルマンですが、ジャケットの配色ではアイアンマンそのまんまですが実際のボディカラーは紫色で、なんとなくジャンパーソンを思い出してしまいます。能力はシールドが張れる(あまり役に立たない)、治癒能力がある(これは凄い)、透明になれる(でも敵にはバレバレ)、移動手段は車・・・等といったような感じで、凄いんだか凄くないんだかよくわかりません。またベルトにはカブトゼクターのようなものが装着されています。
アクションはとろくて迫力が全くありません。民家の中やその辺の庭で戦ってるシーンが多いので、どことなく自主制作臭いです。そこがまたいい感じなんですが。
冒頭で悪者にメタルマンが言い放つ「残念だったな。」という台詞は、アイアンマンと間違えて借りてしまった人に対して向けられているもののように思えました。実際の映画の出来は★一つでも多いくらいですが、変な映画が大好きな人にはお勧めしたい作品です。
この名称は、世界基準となる珈琲鑑定士用語には存在しない。一番近い焙煎度合いとして『シナモン・ロースト』となるが、厳密にはシナモン・ローストよりやや煎りが強くなる。世界的用語ではないため、アジア圏以外では通用しないことが多い。
浅煎りのため、苦味よりも酸味が強いのが特色である。しかしながら、現在のアメリカではスターバックスに代表されるシアトル系コーヒーの台頭などにより、昔日のような浅煎りによる軽い味わいのコーヒーを供する店は減少しつつある。
しかし、日本においては、通常のコーヒーをお湯割りにしたものを『アメリカン・コーヒー』と認識している人達が多く、間違いが常識化しているのが事実である。1970年代に落語家などが『ただの珈琲、お湯で薄めればアメリカン!!!』と茶化し始めたのがきっかけで、日本全国に『お湯割り=アメリカン』のイメージが定着してしまったようである。
1964年東京:芝田村町の、とある石油会社ビル内の地下で営業している某喫茶店において、日本のコーヒー(当時深煎りが主流であった)を何杯でも飲めるようにというアメリカ駐在帰りの会社員の客からのリクエストに応え、コーヒーカップより一回り大きいミルクカップにコーヒー豆の量を少なめにして淹れることで、浅煎りのコーヒーに見立てたのが、いわゆるお湯割り「アメリカンコーヒー」の発祥とされる。
学者、文人という平和的なイメージを持つ菅原道真であるが、政治家でもあったことから死後の魂が怨念に支配されることになり、よく知られているように、神としてのデビューは日本でも最強レベルの恐ろしいパワーを発揮する怨霊としてであった。
道真が太宰府で死んだ頃から、都では天変地異が続くようになり、まず道真を讒言した張本人の藤原時平が39歳で急死。 疫病がはやり、日照りが続き、20年後には醍醐天皇の皇太子が死亡、次の皇太子も数年後に亡くなり、人々はすべて菅公の怨霊の祟りとして恐れた。 きわめつけは、延長8年(930)に宮廷の紫宸殿に落雷があり、死傷者が多数出たことであった。
これにより、道真の怨霊は雷神と結びつけられることになった。 もともと教との北野の地には、農作物に雨の恵みをもたらす火雷天神という地主神が祀られていたことから、それが道真の怨霊と合体したものといわれる。 そこで怨霊の怒りを鎮めるため、天暦元年(947)にこの地に北野天満宮が創祀されたのである。 その後、永延元年(987)に勅祭(天皇が命じた特使による祭祀)が行われ、このときに正式に「北野天満宮大神」と称号されるようになった。
この世に怨念を残して死に、のちに現世に祟りをなす死者の霊を御霊(ゴリョウ)という。 日本ではなら時代以降、この御霊が疫病などさまざまな災害をもたらすと考える風潮が盛んだった。 そのため御霊を神に祀り上げて、その怒りを鎮めようとして生まれたのが御霊信仰である。 道真も最初は、そうした御霊信仰のなかで神さまとしてスタートしたのである。
同時に、雷神との結びつきという点では、雷=雨=農作物の成育という信仰から、農耕神としての性格も強く持っているといえる。 さらにいえば、日本の農耕信仰では、古くから北野の火雷天神のような天から降ってきた神を祀る天神社(古くから農耕民族にみられた天神信仰)が各地にあった。 道真の御霊が火雷天神と合体したことによって、やがて各地の天神社の祭神も道真=天神様とされるようになったのである。
菅原道真もはじめは恐ろしい怨霊として、天満大自在天とか日本太政威徳天といったごつい名前で呼ばれたわけであるが、その意味するところは、数多くある御霊を支配し統御する偉大な神霊ということだ。 そういう神さまが、やがて学問の神として信仰されるようになった理由は、ひとえに御霊としての活動がだんだん静まったことによる。 平安時代から鎌倉初期に作られた「天神縁起」には、天神様を慈悲の神、正直の神として信仰する風潮がうかがえる。 そうやって怖さが薄れると人々の関心は、詩歌、学問に優れた道真の人物や業績といった面に向くようになった。
道真が空海や小野道風と並び”書道の三聖”といわれて崇められるようになったのもその時期からだろう。 こうしてできあがったのが、今日我々が親しんでいる天神様のイメージなのである。
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