- Twitter / 2323_0808 (via mcsgsym)
- Twitter / 2323_0808 (via mcsgsym)
【衆院選】 未来の党に移った元民主党議員 「民主党にいたときは街頭に立つと罵声が飛んできた」
「民主党にいたときは街頭に立つと罵声が飛んできたが、未来の党に移ってからはそれがパタリと収まった」と言っていました。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121212-00000004-sasahi-pol
905 :鳥坂 ◆ItZu8OLJOg [sage] :2012/12/09(日) 21:40:17 ID:t7htdDPI0
»900
要約すると、
「民主党がやろうとしていたことに間違いは無い。
(基地交渉で)折れないアメリカが悪い、尖閣にちょっかい出してきた中国が悪い。
あんな時に地震が起きたのが悪い。老朽化していた原発をいつまでも動かしていた東電が悪い。
円高なんていつものことなのに、カイゼンとイノベーションで経営を立て直さないパナやソニーが悪い。
何より、財源(埋蔵金のことらしい)が無いことを隠していた自民党が悪い!
そんな中で民主党は頑張ったんだ! 少しぐらい褒めてくれたって良いじゃないか!」
と、事務所で不満をぶちまけられたとか……
”911 名前:鳥坂 ◆ItZu8OLJOg[sage] 投稿日:2012/12/09(日) 21:48:36 ID:t7htdDPI0 [10/24]
»906
»907
で、
とさか
「で、オメーは突っ込み入れんかったんか?
俺なら小一時間は突っ込むか『政治家やめちまえ』のひと言で切り捨てるぞ」
シンパ君
「先生が帰って来る前に、事務所の人から
『何を言われても「そうですね。先生は間違ってないです」と言ってね』
って頼まれてたんだ。そうしないと先生、折れちゃいそうなんだって」
とさか
「なんか、そんなキャラが銀英伝にいたな(汗」
選挙も近づいてきましたが、私は小沢一郎や仙谷由人とともに、絶対に許せないのが菅直人です。
「昭和天皇は逮捕されるべきだった」と堂々と発言しています。逮捕されるべきはバ菅自身です。
今回もバ菅が当選するようなことがあれば、バ菅はもちろん、東京都18区の有権者を日本人とは認めません。武蔵野市と小金井市と府中市の有権者は前回の衆議院選挙を猛反省してほしいです。
”仁義を切るというのは、博徒・テキヤ・露天商・香具師などの仲間で、初対面の時に特殊な形の挨拶を交わすことを指す。
「仁義」の口上では、面識のない相手方に対し、独特の言い廻しで先ず自己の姓名所属団体等を披瀝した上、用向きを述べる。
映画「男はつらいよ」の寅さんの台詞で有名。
「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。」以下いろいろ、歯切れの良い口上が続く。
仁義を切ることによって、およそ次のことを相手に伝える。
•敵対する意志がないこと
•自分が常識人であるということ
•自分の出身地や生い立ち
•後ろだてとなる組織・親分
•自分の侠気をアピール
裏社会の事情で、淀みなく、しっかりとした仁義を切れないと、いきなり斬りつけられても仕方がないという掟なのだそうだ。
文字通り、命がけである。
これは怖い。
例えば、次のように仁義を切るのだそうだ。
「昭和残侠伝」(1965年/東映)より。
※ 軽い会釈の姿勢のまま、
●:「ご当家、軒先の仁義、失礼ですがお控えなすって・・・」
○:「有難う御座いやす。軒先の仁義を失礼さんにござんすが、手前控えさせて頂きやす。」
※腰を中腰に落とし、右手の手のひらを見せるように前へ突き出し、そのままの姿勢で、
●:「早速ながら、ご当家、三尺三寸借り受けまして、稼業、仁義を発します。」
○:「手前、当家の若い者で御座います。どうぞ、お控えなすって下さい。」
●:「手前、旅中の者で御座います。是非とも、お兄いさんからお控え下すって・・・」
○:「有難う御座います。再三のお言葉、逆意とは心得ますが、手前、これにて控えさせて頂きます。」
●:「早速、お控え下すって有難う御座います。手前、粗忽者ゆえ、前後間違いましたる節は、まっぴらご容赦願います。向かいましたるお兄いさんには、初のお目見えと心得ます。手前、生国は大日本帝国、日光 筑波 東北関東は吹き降ろし。野州は宇都宮で御座います。稼業、縁持ちまして、身の片親と発しますは、野州宇都宮に住まいを構えます、十文字一家三代目を継承致します坂本牛太郎に従います若い者で御座います。姓は風間、名は重吉。稼業、昨今の駆出し者で御座います。以後、万事万端、お願いなんして、ざっくばらんにお頼申します。」
○:「有難う御座います。ご丁寧なるお言葉。申し遅れて失礼さんにござんす。手前、当神津組四代目川田源之助に従います若い者。姓は江藤、名は昌吉。稼業、未熟の駆出し者。以後、万事万端、宜しくお頼申します。
●:「有難う御座います。どうぞ、お手をお上げなすって・・・」
○:「あんさんから、お上げなすって・・・」
●:「それでは困ります。」
○:「では、ご一緒にお手をお上げなすって・・・」
●:「有難う御座います。」
○:「有難う御座いました。」
仁義を切るのは、自分の身分証明をする手段である。
身分証明証や紹介状では、偽造されたり、変造されたり、盗まれたりする場合がある。
また、昔は字が読めない人も割合い多くいたという事情もある。
形式化された、このやりとりのことを「プロトコル」といっても良いのかも知れない。
何かに似ていないか。
SSLである。
サーバーの証明書を作成するのに必要な入力項目は次のようになっている。(OpenSSLのことしか知らないけど)
CA cretificate filename (or enter tocreate) 上位の認証局があれば指定
Enter PEM pass phrase: 証明書のパスフレーズを入力
Country Name (2 letter code) [AU]: 国名、日本の場合、通常は’JP’
State or Province Name (full name) [Some-State]: 都道府県名を指定
Location Name(eg,city) []: 組織の本拠地の市区町村名を指定
Orgnaization Name(eg,company)[Internet Widgits Pty Ltd]: 組織名(法人名)を指定
Orgnaization Unit Name(eg,section)[]: 部署名を指定
Common Name (eg,YOUR name)[]: サーバーのホスト名(FQDN)を指定
Email Address []: 連絡先E-Mailアドレスを指定
やりとりしている情報は、大して違いはないように思える。
人間が何を信頼するかは、昔と大して違っていないのだろう。
さしずめ、名の知れた大親分は、認証局といったところか。
しかし、今の暴力団社会では、「仁義をきる」習慣はほとんど廃れてきているといわれており、仁義を切らず名刺を用いて初対面の挨拶をするのが一般化しているようである。
あらら、もったいない。
仁義を切るというのは、博徒・テキヤ・露天商・香具師などの仲間で、初対面の時に特殊な形の挨拶を交わすことを指す。
「仁義」の口上では、面識のない相手方に対し、独特の言い廻しで先ず自己の姓名所属団体等を披瀝した上、用向きを述べる。
映画「男はつらいよ」の寅さんの台詞で有名。
「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。」以下いろいろ、歯切れの良い口上が続く。
仁義を切ることによって、およそ次のことを相手に伝える。
•敵対する意志がないこと
•自分が常識人であるということ
•自分の出身地や生い立ち
•後ろだてとなる組織・親分
•自分の侠気をアピール
裏社会の事情で、淀みなく、しっかりとした仁義を切れないと、いきなり斬りつけられても仕方がないという掟なのだそうだ。
文字通り、命がけである。
これは怖い。
例えば、次のように仁義を切るのだそうだ。
「昭和残侠伝」(1965年/東映)より。
※ 軽い会釈の姿勢のまま、
●:「ご当家、軒先の仁義、失礼ですがお控えなすって・・・」
○:「有難う御座いやす。軒先の仁義を失礼さんにござんすが、手前控えさせて頂きやす。」
※腰を中腰に落とし、右手の手のひらを見せるように前へ突き出し、そのままの姿勢で、
●:「早速ながら、ご当家、三尺三寸借り受けまして、稼業、仁義を発します。」
○:「手前、当家の若い者で御座います。どうぞ、お控えなすって下さい。」
●:「手前、旅中の者で御座います。是非とも、お兄いさんからお控え下すって・・・」
○:「有難う御座います。再三のお言葉、逆意とは心得ますが、手前、これにて控えさせて頂きます。」
●:「早速、お控え下すって有難う御座います。手前、粗忽者ゆえ、前後間違いましたる節は、まっぴらご容赦願います。向かいましたるお兄いさんには、初のお目見えと心得ます。手前、生国は大日本帝国、日光 筑波 東北関東は吹き降ろし。野州は宇都宮で御座います。稼業、縁持ちまして、身の片親と発しますは、野州宇都宮に住まいを構えます、十文字一家三代目を継承致します坂本牛太郎に従います若い者で御座います。姓は風間、名は重吉。稼業、昨今の駆出し者で御座います。以後、万事万端、お願いなんして、ざっくばらんにお頼申します。」
○:「有難う御座います。ご丁寧なるお言葉。申し遅れて失礼さんにござんす。手前、当神津組四代目川田源之助に従います若い者。姓は江藤、名は昌吉。稼業、未熟の駆出し者。以後、万事万端、宜しくお頼申します。
●:「有難う御座います。どうぞ、お手をお上げなすって・・・」
○:「あんさんから、お上げなすって・・・」
●:「それでは困ります。」
○:「では、ご一緒にお手をお上げなすって・・・」
●:「有難う御座います。」
○:「有難う御座いました。」
仁義を切るのは、自分の身分証明をする手段である。
身分証明証や紹介状では、偽造されたり、変造されたり、盗まれたりする場合がある。
また、昔は字が読めない人も割合い多くいたという事情もある。
形式化された、このやりとりのことを「プロトコル」といっても良いのかも知れない。
何かに似ていないか。
SSLである。
サーバーの証明書を作成するのに必要な入力項目は次のようになっている。(OpenSSLのことしか知らないけど)
CA cretificate filename (or enter tocreate) 上位の認証局があれば指定
Enter PEM pass phrase: 証明書のパスフレーズを入力
Country Name (2 letter code) [AU]: 国名、日本の場合、通常は’JP’
State or Province Name (full name) [Some-State]: 都道府県名を指定
Location Name(eg,city) []: 組織の本拠地の市区町村名を指定
Orgnaization Name(eg,company)[Internet Widgits Pty Ltd]: 組織名(法人名)を指定
Orgnaization Unit Name(eg,section)[]: 部署名を指定
Common Name (eg,YOUR name)[]: サーバーのホスト名(FQDN)を指定
Email Address []: 連絡先E-Mailアドレスを指定
やりとりしている情報は、大して違いはないように思える。
人間が何を信頼するかは、昔と大して違っていないのだろう。
さしずめ、名の知れた大親分は、認証局といったところか。
しかし、今の暴力団社会では、「仁義をきる」習慣はほとんど廃れてきているといわれており、仁義を切らず名刺を用いて初対面の挨拶をするのが一般化しているようである。
あらら、もったいない。
大河ドラマ「平清盛」の時代考証について。知恵袋では賛否両論のようですが。
批判的なかた、具体的にどこがおかしいでしょうか。
僕は、清盛と明子が船の話をするシーンで、あんな立派な石橋が当時あったのかなあと、違和感を感じました。おかしくはなかったんでしょうか。
————————————————
ベストアンサーに選ばれた回答
過去の時代をそのままテレビに再現したら、見ているほうは相当な違和感を覚えるはずです。江戸時代ならともかく、平安時代の事物となると、大部分の視聴者は「?????」の連続になってしまうでしょう。そもそも、字幕スーパーを出さなければ、台詞が理解できません。
しかし、歴史ドラマで大切なのは、個々の事物を再現することではなく、その時代の空気を伝えることです。視聴者の理解を助けるためなら、時代考証をあえて曲げるのも、制作技法の一つであると考えます。史実をどこまでエンターテインメントに加工できるのかが、制作者の腕の見せどころなのですから、「史実と違う」と思いながらも、最後まで見入ってしまえば制作者の勝ちです。
話題になった海賊船の場面などは、「清盛外伝」ともいうべき展開なのですから、史実など無視して、大陸へ押し渡って大暴れという筋書きでも良かったぐらいです。清盛は大人しく都に帰り、海賊も良い子になりましたという結末は、いかにも竜頭蛇尾で、ややがっかりでした。
さて、時代の空気ということで違和感を覚えた場面はいくつかあります。
一番、気になったのは、白河法皇が清盛の母親を院御所の庭前で殺害させたことです。平安貴族は穢れを極端に嫌いましたが、死穢はその最たるもので、ドラマのようなことをしたら、院御所は長期間(ことによると半永久的に)使用不能になってしまいます。法皇自身も相当長期の謹慎を強いられ、その間は女のもとへも通えません。人を殺すときは、武士に命じて闇討ちにし、自分は何食わぬ顔をしているのが平安貴族です。
もう一つ、幼い崇徳天皇が御所の庭を走り回る場面がありましたが、天皇が地面を踏むことは重大な禁忌とされていましたから、ここは誰かが止めなければいけません。
上の二つは、平安貴族の感覚を伝える意味で、「史実に即して」演じてほしかった場面です。
ご質問の石橋には、私も注目していました。本物の石造橋ではなく、コンクリートに石を貼り付けたもののようですが、あれだけの長さの橋を石で造ろうとすれば、通常の桁橋では不可能で、アーチ橋とせざるを得ないでしょう。
しかし、石造アーチ橋の技術が日本に伝わったのは江戸時代初期のことで、実例は九州にほぼ限られており(長崎の眼鏡橋など)、平安時代の京都では考えられません。当時、石造橋といえば、都大路や大内裏、貴族の邸宅、寺社など限定された場所に短い桁橋が築かれていただけでしょう。
とはいえ、紅葉の美しい山中でビジュアル的には悪くありませんし、架橋技術史の特集番組ではないのですから、取り立てて問題にすることでもないと思います。