氷河期の終わりと共に、日本史上最大の二つの変化のうち、最初のものがやってきた。土器の発明だ。人類史上初めて、人々は水を蓄えられる容器を好きな形で作れるようになった。食物を茹でたり蒸したり煮たりできるようになったので、それまでは利用しにくかった食料資源も大量にアクセス可能となった。葉の多い植物は、それまでなら焼くと燃えたり焦げたりしてしまったものが食べられるようになったし、貝もすぐに口を開くようになった。そしてドングリや栃の実のように、有毒だったり苦かったりするがそれ以外は栄養価の高い食物も、煮ることで有毒成分を取り除けるようになった。柔らかく茹でた食物は子供にも食べさせられるので、子供は乳離れが早まり、母親はあまり間隔を置かずに再び妊娠できるようになった。歯のない高齢者は、文字以前の文化では情報の貯蔵庫だったが、いまや食事を与えて寿命を引き延ばせた。こうした土器の大いなる影響はすべて、人口爆発を生み出し、日本の人口は推定数千から、25万人程度にまで増えた。
当然ながら、土器を発明したのは日本人だけではなかった。古代世界の多くの時代や場所で、何度も独立に発明されている。だが世界最古の土器は、12,700年前に日本で作られたものだ。1960 年にその放射性炭素年代測定結果が発表されたときには、当の日本の科学者ですら、当初はそれを信用しなかった。考古学者の通常の経験では、発明は本土から島嶼部へと伝搬するはずだった。小規模の周縁社会は、その他世界に対する革命的な進歩をもたらしたりはしないはずなのだ。特に日本考古学者の経験からすると、東アジアの文化的ブレイクスルーをもたらすのは、農業にしても、書字、冶金など重要なものすべてにおいて中国のはずだった。今日、日本土器のこの早期年代が計測されてから 40 年近くたったが、考古学者たちはいまだにこの炭素 14 の計測結果と呼ばれるものに驚いている。他の初期の土器が中国やロシア東部(ウラジオストック近郊)で発見されてはいる。アジアの考古学者は日本の記録を打ち破ろうと一生懸命だ(実は、中国やロシアがその記録を破りそうだという噂も聞いている)。でもいまだに世界記録を保持しているのは日本で、肥沃な三日月地帯やヨーロッパに比べて、日本の土器は数千年も古い。
記録破りの日本土器がかくも衝撃だったのは、島の住民が本土から学ぶはずだという偏見のせいだけではない。これに加えて、初の日本土器制作者たちは明らかに狩猟採集民で、これまた確立した見方に違反するものだったのだ。ほとんどの場合、土器は定住社会に属する。遊牧民があれこれ重たい土器を抱えてうろつきたいはずもない。それ以外に、武器や赤ん坊を宿営地移動のたびに抱えてまわることになるのだから。狩猟採集民は、通常は土器を持たない。世界の他の地域では、定住者界は農業の採用以後にしか生じなかったからだ。でも日本の環境は生産的すぎたので、人々は狩猟採集民として暮らしつつも、定住して土器を作れた。土器のおかげで、日本の狩猟採集民たちは環境が与えてくれる豊かな食料源を、集約農業が日本に伝わる一万年も前から活用できるようになった。これに対し、肥沃な三日月地帯で土器が生まれたのは、農業採用の千年ほど後のことだった。
”- ダイアモンド『銃、病原菌、鉄』2005年版追加章について (via d5dx)