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- 参考文献:レシピサイトぷちぐる
この本はぷちぐる掲示板にてルイージさんから教えていただいたのですが目を通してみてビックリしました。 内容が濃すぎるのです。
料理の作り方だけでなく道具の説明、食材についてのあれこれ、どれをとってもその内容の充実ぶりに心奪われて数時間読みふけりました。
何十回、いや何百回でも読み返して、この本に書かれてある「料理の技術」を体に染みこませていこうと決心いたしました。 ルイージさん、ありがとうございます。
”以下ちょこっと引用
- 季節により、あるいは体調や気分により、またサイフの重さによって限定された何千とおりかの可能性のうち、その日食うものを見つけだしてくるプロセスほどに楽しいことがあろうか。
- インスタントやレトルト食品は工業製品であって、生産性をあげ、広範囲の流通に耐えるためありとあらゆる化学薬品をブチこんで、毒物のカタマリになっている。
- 本屋に並ぶ料理書を見ても、多くは目うつりするメニューをふやすことに急で、じっくり伝統の重さを伝えてくれるようなものは少ない。
- 毎日なにを食べているか言ってみたまえ、きみがどんな人かを言ってみせようというのは誰だかあんまり有名でないフランス人が言ったのだが、たしかに「何を読んできたか」と問うよりも正確なはずだ。
- 工業製品としての食品は、本来の食品とはいえないということだ。
- 中国では「医食同源」といって漢方薬をさりげなく日常の料理に使ったりするが、日本では「毒食同源」になった。
- 昆布のうまみから抽出したといわれるグルタミン酸ソーダは窒素化合物で、60年代に石油化学が開花してからは、昆布どころか石油から作られるようになった。
- 「化学調味料少々」などと平気でテキストに書ける無神経な料理人を絶対に信用してはならない。 おつゆが「一味足りない」時に、塩を入れるか、醤油を入れるか、かくし味的に砂糖を入れるか、 酢を一適たらすか、酒をたらすかという判断も放棄して、「化学調味料少々」などとやる料理人は、どんなに材料をゼイタクしようとまともなものをつくれるわけがないからだ。
- アリストテレスは、「焼きものが最初でそれから煮ものができた」と書いている。
- 狩に参加したものが能力にかかわりなく平等に受け取ることのできる分け前をタマスと数えた。 柳田国男はタマシヒはここから来たという。 ヒ(霊)のタマスだ。
- 生のもと火にかけたものとのバランスが必要だ。
- 台所の片づけの核心は油の処理にあると桐島洋子さんは言っている。
- どんなごはんを食べてきたかで、その人の性格や精神史までわかりそうな気がする。 母が子どもにおくる贈り物である。 教育以前の原・教育である。 ごはんをうまく炊く工夫もなくなり、毎日 食べるものにブタのエサほどの関心も払わず、電気釜にぶちこんでタイマーをかけるようになってから、大量の教育ママが出現した。 生活の中で子どもを育てる能力が失われたのである。
- 食の自主管理を、きみの小さな流しとガス台からはじめてみよう。 手をうごかし、口をうごかしながら、自分の頭で考えてみよう。 地球人のウンメイはそこにかかっているのだ。
- 参考文献:レシピサイトぷちぐる