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"ヘンドリックスのプレイスタイルについては、型破りなアクションが取り上げられることが多いが、基本はあくまでブルースやR&Bに根差し、これにジャズのコードやスケールを加えたベーシックなものである[3..."

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ヘンドリックスのプレイスタイルについては、型破りなアクションが取り上げられることが多いが、基本はあくまでブルースR&Bに根差し、これにジャズのコードやスケールを加えたベーシックなものである[30][31]。 ただし音の選び方やフレーズの展開は強烈に非凡なもので、従来からのブルースやR&Bの枠に収まらないような画期的な内容だった[32][33]

ヘンドリックスは非凡なインプロヴィゼーション能力によって、「Red House」や「Machine Gun」など、アドリブが曲の大部分を占める曲で、ライブごとに全く違った展開のアドリブを行った。これは、「指癖的な小さなフレーズ(リック)を沢山覚えておき、それらを組み合わせてアドリブを構築する」のではなく、「その瞬間に頭の中で鳴った(聞こえた)フレーズをギターで弾く」というアドリブのとり方を行っていたから、という説がある[34]

ヘンドリックスのソロプレイは、例えば後に登場してくるHR/HM系ギタリスト等と比べると特に速弾きとは言えず、運指もやや正確さに欠けるところがある。しかし、ギターという楽器が本来備えている音に加え、大音量に伴う電気的ノイズまで駆使し、刻々と音色を変化させながら、即興で感情の高まりを表現していく能力に関し、ヘンドリックスに対比できるギタリストは未だに存在しないという意見も存在する。HR/HM系ギタリスト等と比べると音の数こそ少ないが、緩急自在のフレージングと、タイム感のコントロールにより、聴き手に与えるスピード感は非常に高い。ライブ演奏が素晴らしかっただけではなく、スタジオ録音でも革命的と言えるような多彩なサウンドを生み出した。

作曲面においても後にロックのスタンダードとなる数多くの楽曲を残した(特に「Purple Haze」「Little Wing」「Voodoo Chile(Slight Return)」「Red House」「Fire」「Foxy Lady」などの曲は、多数のミュージシャンによってカバーされている)。

ヘンドリックスはギターの音質を電気的に変化させる機材(いわゆるエフェクター)を多用することで知られた。スタジオ録音はもちろんステージでもエフェクターを使用し、従来のギタリストでは考えられなかったほど音質に豊富なバリエーションをもたせている。主に使用していたのは音を歪ませるファズ、踏み加減で音質が連続的に変化するワウペダル、音を波立たせるユニヴァイブといったものだった。ヘンドリックスが存命の頃には「機械に頼っていて邪道」という評価もあった。ヘンドリックスは手に入れたエフェクターの可能性を探ろうと何時間も演奏を続け、そのエフェクターの設計者ですら想定していなかった斬新な音を引き出していた[35]。 その結果ヘンドリックスの演奏の中には、どういう方法で出したのか今もって不明な、謎のサウンドが非常に多い[36]。 これはスタジオ録音だけではなく、ライブでも同様である。エフェクターなどの電子機器設計の達人だったロジャー・メイヤーが、ヘンドリックスのアドバイザーだったのも大きな意味を持っている。

ギタリストであると同時に歌手でもあるヘンドリックスだが、ずっと「自分は歌が下手だ」と卑下し続けていた。そんなヘンドリックスにとってのヒーローは、独特の歌唱法でフォーク/ロック界を席巻したボブ・ディラン。ディランの歌を聴いたヘンドリックスは「これなら俺も歌えるかも知れない」と勇気づけられたという。ヘンドリックスはディランに大きな影響を受けており、ディランの曲「Like a rolling stone」や「All along the Watchtower」などをカバーしている。ヘンドリックスが「All along the Watchtower」をシングルヒットさせたことを受け、ディランは「あの曲は俺が書いたが、権利の半分くらいはヘンドリックスのもの」と発言している(ディランの伝記より)。またディランは、ヘンドリックスのアレンジに近い形で同曲を演奏したこともある。エリック・クラプトンも「ジミはギターだけではなく歌もとてもうまいよ」と述べている。

ヘンドリックスは音楽の理論などに疎く楽譜もほとんど読めなかったと言われるが、ジャズ系ミュージシャンとのセッションでも引けを取ることはなかったと評されている。帝王マイルス・デイビスやジョン・マクラフリン(ギタリスト)に才能を絶賛されていたほか、マイルス作品の編曲などで知られる巨匠ギル・エヴァンスもヘンドリックスとの競演を熱望していた[37][38]。 ギル・エヴァンスはヘンドリックスの死後、ヘンドリックスの曲をアレンジして演奏したレコード「THE GIL EVANS ORCHESTRA PLAYS THE MUSIC OF JIMI HENDRIX」を発表。1988年に亡くなるまでステージでヘンドリックスの曲を演奏し続けた。エヴァンスいわく「ジミのアルバムを聴くと毎回新しい発見がある。彼が優れた作曲家だった証拠だよ」。



- ジミ・ヘンドリックス - Wikipedia

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