●ダクトテープ! もう何でも直せる! 車のペイント部分まで!
●↑あとは結婚さえ修復してくれれば言うことはない。
●↑妻が口うるさいっていう場合には、いけるかも。”
- 何か変だよ?「隣にダクトテープが貼られまくった車が停まったんだけど…」という写真:らばQ (via myk0119)
警視庁本部の正門前は、皇居のお堀に接しているので、ちょっと他の警戒ポイントとはわけが違うのです。
それは、・・・電波系がよく来る場所。
私も機動隊時代は、あのポイントによく立って警戒していましたからわかります。
正門は昼間からたくさんの警察職員や警察幹部、その他お偉いさんの他、ヤクザみたいな刑事や、作業服を着た業者風の刑事、極左風の刑事も出入りするし、変なおじいさんが「内閣秘密調査室」なんて鉛筆で書いた名刺を示して本部に入ろうとするし、「秘密のお話だから交番のお巡りさんじゃダメなのよ! 警視総監にお願いします!」という謎の女性など、面白い方々が警戒を突破して中に入ろうとするのです。
おまけに外周では、罰ゲームなのか心意気を示すためなのか、若い右翼構成員が皇居のお堀に飛び込んで一旗揚げようとするし、「陛下のお具合がよろしくないのは、江戸城の亡霊武者の仕業。除霊に来ました」と言う家族連れエクソシスト、太鼓を打ち鳴らして皇居を回る左翼系宗教団体など、昼間から気が抜けない。
さらに深夜になると、すごいんです。
「寝ているうちにソ連(当時)のスパイに脳内にオシロスコープを埋め込まれたので、取り出してください」と言う自称スパイ工作被害者、「私は皇太子殿下の秘密の花嫁です(当時皇太子殿下はまだご成婚直前)。案内してください」という超シンデレラ、「脳に直接ありがたいお経が聞こえてくるんです。南妙放送局はどこですか」というおばあちゃん、「霊安室の松本さんに呼ばれましたが、こちらに安置されてますでしょうか」という幽霊よりぞっとする男性などなど、多いときには一日に3~4人も来るんですよ。
そんな警視庁本部正門前に大みそかの深夜「オウムの平田信です」なんて男が現れても、機動隊だって本気にしなかったんでしょうね。
”速水:90年代前半に、小室哲哉はTMNとして全国ツアーを行っているんですけど、地方公演のあとに小室はファンをディスコに集めて、DJパーティをやったんですね。それが自分たちのファンがどういう音楽を好むのかを知るためのマーケット調査になって、のちのエイベックスと組んで以降の小室仕事につながっていく。最初はtrfですよね。彼は日本のマスの消費層が地方にいることに気付いたんです。都会のリスナーに向けて音楽をつくってもダメなんじゃないかという疑問を、なぜかこの頃の小室は考えたんです。いわゆる渋谷のWAVEで売られているような音楽とはまったく違う方向性に舵を切った。
そのtrfが1994年から1995年にかけてシングル5作連続でミリオンセラーを記録したことは、その小室の戦略の正しさを証明した結果ですよね。
”子供の頃の話。
夜、母の運転する車で帰宅途中、飛び出してきた犬を勢い良く轢いてしまった。
すぐ降りて犬を見たが、もう虫の息・・。
飼い主のおじさんがすぐに駆け寄って来るなり、
「申し訳ない。車に傷をつけてしまった。ぼく、わたし(弟と私)びっくりしたろ?ごめんなぁ。」
と母に対して頭を下げ始めた。
確かに、犬を放し飼いにして散歩していた飼い主の不注意。
でも大切なワンちゃんを死なせてしまったのはこっちだし、車は何ともなっていない。謝られるのは恐縮する。
母は頭を下げ続けるおじさんをなだめ、母もひたすら頭を下げる。
「僕たち、犬は大丈夫だからよ!すぐに元気になるからな!」
・・もう手遅れだというのは子供ながらにもすぐに分かった。
おじさんは大きな犬を背中に背負うと、
「さあ、○○(犬の名前)ウチに帰って手当てしよう。包帯グルグルにしちゃうぞ。ハハ!」
とやけに明るい表情で元来た道を帰っていった。
でもおじさんの背中が小刻みに震えているんだよね。
母と弟3人でおじさんと犬を祈るような気持ちで見送った。
数日後、おじさんは車の修理代を払わせてほしいと連絡をくれたそうだ。
母から、修理代は丁重にお断りしたが、犬は奇跡的に一命をとりとめたと聞き、私と弟は心底嬉しかったのを覚えている。
そしていつしかその話も忘れ去られていた。
そして私も成人して、母とふとその話をする機会があった。
そこで知った事実ーー。
実はあの犬は、ほぼ即死で家に着くと同時に息を引き取ったそうだ。
でもおじさんは電話口で
「子供さんには「助かってピンピンしてる」と伝えて下さい。あんな所を見ちゃ辛ぇだろうから。」
と言ったと。
自分も辛いのに、子供の前で一切そぶりを見せなかったおじさんの心遣いに頭が下がる。
中学生の娘に、「なんで鯨とイルカ食べるの?可哀想じゃん。」と言われた。
旦那は目の前のとんかつを取り上げて「豚、可哀想だね。」と言った。
娘は「豚は食べる為に育ててるでしょ?」と返した。
旦那は
「食べる為に育った動物には感情は無い?そんな筈無いよね?
命を奪って今日も生きている事を忘れると傲慢になるよ。」
……慌てて娘と息子は「いただきます」を言った。
こういう教育って難しいね。
”育児板拾い読み@2ch - 「いただきます」 (via openarms) (via fukumatsu) (via ichimonji) (via yaruo) (via takojima) (via chlono) (via puruhime) (via c-cha) (via souchou) (via konishiroku) (via ittm) (via makepura)
2010-06-18
(via quote-over100notes-jp) (via gkojax) (via shortcutss)
(via ishida)
(via shin1-p) (via junmyk) (via nothot) (via o6xdu0cy) (via irregular-expression) (via gkojax) (via mitaimon)
28歳。僕がまだ仮免ディレクターだった頃、大阪のMBS「新・たかじんが来るぞ!」という番組を担当していました。視聴率に苦しんでいた時期、彼はいきなり番組会議に乗りこんできたのです。会議の進行をブッタ切って、正面からこう説教されました。
「今どきテレビなんて流して見てる…って思ってるかもしれへんけど、世の中には夜のこの番組だけが楽しみで昼間働いている人がおんねんゾ!工場のおっちゃんもパートのおばちゃんも汗水流して働いて寝る前の唯一の楽しみなんじゃ!!お前らその人達の為に死ぬ気で番組作ってんのか!!」
正論。当時でさえ誰も気恥ずかしくて言えない真っ当な正論です。でも、今でも心に突き刺さっています。僕のテレビ作りの基本ポリシー…。GCCXもVS嵐もこの心得で作っているのです。たかじんさんと仕事をした大阪のテレビマンは、多かれ少なかれこういう叱咤を受けていたのではないでしょうか?
30歳で上京する時、彼の所へあいさつに…。寂しそうにしながらも、
「アカンかったらいつでも帰って来て俺んとこに来い。」
ご本人は東京嫌いでしたが、行く人間はあたたかく送り出してくれる懷の深い方でした。
豪快で強面のイメージがあるかも知れませんが、とても繊細でとにかく視聴者目線で動いてました。彼がいなくなっても、彼のDNAは我々関西系テレビマンに宿っています。ありがとうございました。次お会いしたら少しだけホメてもらえるよう…もう少し頑張ります。
今夜、キタやミナミのスナックからは彼の歌が聞こえてくるでしょう…僕もどこかで歌います。最後まで歌える自信はありませんが…。
sawfinnickodairinhisunderwear:
"No you fool!! You could fall!!"
WHY IS THIS THE MOST ADORABLE THING THAT I’VE EVER SEEN
おめでたい正月に、明治神宮に続く表参道で
閻魔さまの両隣に、朝鮮の両班?と
李氏朝鮮時代の拷問道具まで描いて
「戦犯国日本は地獄に落ちて
TVでも見ていやがれ!」#都知事選 #受験 #就職 #面接 #卒業 #育児 #教育 #mama #cat #dog #newsjp #拡散 #AKB48 #SKE48
表参道や明治神宮は、昭和20年5月25日の「山の手空襲」で、焼夷弾投下により、大火災となり、表参道は焼け焦げた遺体で埋め尽くされたそうです。
この空襲は広範囲に渡り、焼夷弾の量は3/10の倍近かったそうだ。
諸説あるけど 「東京の焼失面積は全市街地の50.8%、死亡・行方不明者は10万人以上」 というから凄まじい。フジテレビのこの悪趣味な「地獄絵図」が、表参道を呑気に歩く現代の私達が、平和にお正月を迎えられるのは、この土地で犠牲になった多くの日本人の流した血を忘れてはならない
というような政治的メッセージであるのならば、朝鮮の衣装や朝鮮式拷問道具を描く必要はない。やはり、
「敗戦国日本と恨の国韓国」というモチーフで
この表参道で、おびただしい焼夷弾の空襲を受け
地獄のような炎に包まれて亡くなった
犠牲者の皆さんを愚弄するような、
”日本人の作とは思えない”悪意に満ちた看板だと思う。★東京山の手空襲
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-tokyoyamanote.htm
★東京大空襲、
一夜のうちに10万人以上の
民間人(非戦闘員)が
生きたまま焼き殺された。
http://kopy.doorblog.jp/archives/27241385.html
★「表参道が燃えた日」
山の手大空襲の体験記
http://www.kanda-zatsugaku.com/090515/0515.html
焼夷弾による夜間の無差別爆撃が行われ始めたのは
3月からです。超低空での空襲です。
そしてどなたでもご存じの3月10日の下町の大空襲
になるわけです。
3月10日の零時8分に深川に第一弾が落とされてから
2時間余りで10万人という方が亡くなりました。
この1日で10万人という数は
世界の長い歴史を振り返っても、
世界中どこにも例のないことです。ただ単に、歴史ある仏教の『地獄絵図』を描けばよい。
そこに「朝鮮」を絡ませるフジテレビの悪辣さは
「なんとしても納得しがたい」