私たちの労働観を形成する元になったという意味で、秀吉はもう1つ、非常に重要な刑を制定しました。「奉公構(ほうこうかまい)」というものです。
奉公構は当時、切腹に次ぐ重刑でした。この重刑が示すのは、ほかの大名に一度でも仕えたことのある武士は、別の大名に仕えてはならないという規範。つまりは、武士の中途採用禁止令です。
武士というのはそれまで、自由に奉公先を変えることもできましたが、これによって武士は転職できなくなり、嫌でも、生涯一人の主に仕えるしかなくなってしまったのです。
”- 日本ではなぜ、「孝」より「忠」が上なのか?「天職」志向のヨーロッパ人と「組織」志向の日本人|ここがヘンだよ 日本人の働き方 高橋俊介|ダイヤモンド・オンライン (via otsune)