実際、最近では多くのマスメディア・ネットメディアがtwitterとの連携機能を実装しているが、総じてフォロー数/フォロアー数とも少ない。それが 刹那的なツイートにも繋がるし、コンテンツにぶら下がる、本来のtwitterのタイムラインとは別のコンテキストが出来る要因にもなっている。
このようなひと達が、「視座」を複数持つ意味や、自身が「タコツボ」に陥っていることを自覚出来るのかどうか。正直分からないなぁ。
まぁ、著者のことだから、「そんなのノイズだから放っておけばいいんですよ」とおっしゃると思うけれど(苦笑)。
ただ、「一万人の馬鹿は歴史的な力である」ともいう。今回のtwitterなどでの騒動が、日本の再構築ではなく、断裂の方向に行かなければいいのだけど、と若干心配にも感じていたりするのだ。”
- Parsleyの「添え物は添え物らしく」 - 「視座」を複数持つ、ということ (via kogumarecord)