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  • 10/24/18--00:47: 変態紳士   髙嶋政宏
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    佐山聡 若手時代の天才的な動きがマジ凄い【タイガーマスクの原型】サミー・リー


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    “大吉は相方の華丸がR-1制覇をきっかけにブレイクしたのを見て少し羨んだ時期もあったが、ほぼ同じ時期にHGがブレイクした上でのRGの姿を見て「あ、こうなっちゃいけないんだな」と反面教師にすることで己を律し、日陰に徹する良い機会になったと語っている。”

    - レイザーラモンRG - Wikipedia (via kasei-san)

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    “■じいちゃんが話してくれた特別じゃない戦争の話 じいちゃんに聞いた戦争の体験話。特別感動的でもないし、奇跡的でもない。だけどもうじいちゃんは死んだので俺しか知らない話になっている。だからここに残す。* * *小学生の頃、寝る前とかにじいちゃんに「怖い話をして」とねだると必ず戦争の話になった。子どもの俺は口裂け女とか人面犬の話がして欲しいのに、じいちゃんは必ず戦争の話をした。話は大体決まっていて、「船の甲板にいて戦闘機が襲ってきたら跳弾が危ないから伏せろ」だとか「射撃台が打たれるからちかづくな」というような使いようのないTipsだった。子どもながらにじいちゃんは歳だから気の利いた怪談話とかを知らないんだなと渋々聞いていた。* * *俺が社会人になって家を出て数年したある日、じいちゃんから突然電話がかかってきた。なんと田舎から出て来て、一人暮らしの俺の家の前まで来ていた。平日だったので仕事中だったが早退してじいちゃんに会った。じいちゃんは俺の家に上がるわけでも、観光をしたいというわけでもないというので、仕方なく一緒に近所の喫茶店に行った。適当に世間話をした後、なんとなくじいちゃんに戦争の話を聞いてみた。俺が大人になって戦争の話を聞くのはこれが初めてだった。聞くと、じいちゃんは当時18歳で西日本の港の練習艦に乗っていたそうだ。そして、練習艦での日々を教えてくれた。なんでも戦争末期には毎日のように戦闘機が飛んで来て襲われていた。そこで辛かったのが迎撃するための射撃手を決める方法。戦闘になれば射撃手は最初に狙われるためほぼ確実に死ぬので誰もやりたくない。しかし上官が当日の射撃手を募れば率先して手を上げなければ気絶するまで殴られる。死ぬのがわかっていても手を上げなくてはならない。選ばれた戦友は必ず死ぬという毎日が本当に辛かったそうだ。じいちゃんは運がいいことに声がでかいために伝令係に選ばれることが多く、射撃手には選ばれなかったらしい。運がいいと思いつつ、相当なうしろめたさがあったと言っていた。最終的に練習艦は港で撃沈され、泳いで陸まで逃げて生き延びた。じいちゃんの声がもう少し小さかったら俺は生まれてなかったかもしれないかと思うと当時の人の命の儚さ、不安定さのようなものを感じた。最後に俺が練習艦とはいえ艦船に乗ってたなんてすごいねというと、じいちゃんの目つきが変わってこう言った「違う。わしが練習艦に乗っとったんは落ちこぼれだったからだ。学校で頭が良くて成績のいい奴らは先に選抜されて大和や武蔵に乗ってみーんな死んだ。わしより優秀な奴らみんな笑顔で『さよなら』と言って死んでいったんじゃ。だからわしはあれから一度もさよならと言ったことはない。さよならなんて言ったらいかん。」* * *別にその日は戦争の話をしにきたわけじゃないだろうけど、俺はじいちゃんにとって戦争がどういうもので、「怖い話をして」というとなぜ戦争の話をするのか少しでもわかってよかったなと思った。じいちゃんは、その後ガンが見つかり、突然の訪問の日から半年以内にあっさりと死んでしまった。ガンは告知しなかったそうだが、じいちゃんなりに残りの時間は感じていたのだと思う。もうじいちゃんが死んでから何年も経つ。他の戦争体験の話に比べたら大した話じゃないけど、俺のじいちゃんの話をなんとなく世の中に流しておきたかったので書いた。おしまい。”

    - じいちゃんが話してくれた特別じゃない戦争の話 (via crossbreed)

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    “珈琲の味が「分かる」のは、珈琲の苦みに体が慣れてしまい、他の味を区別できるようになったからである。同様に、酒の味が分かるのもアルコールの刺激に慣れてしまったからである。あらゆる嗜好品について同じことが言えるが、体が慣れるということは感覚が鈍麻しているということである。
    珈琲の味が分かるのは「感覚が鋭くなったから」と勘違いしやすいが逆である。苦みに対して鈍くなったから、他の味が分かるのだ。
    自分の感覚は日々変化しており、全体としては老化に従って鈍くなっていることには自覚的でありたい。”

    - 西上 柾さんのツイート (via c610)

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    “母は私が子供の時から、「病院には体がしんどい人がたくさんいて、うるさくすると具合が悪くなられるから静かにしなさい」「お店で走ると妊婦さんや年配の方にぶつかった時に相手に大怪我させる事になるからやめなさい」と絶対に理由つきで私を叱りました。大人になってそのありがたさを感じる。— 最先端な思考 (@saisentan_shi) September 4, 2018”

    - http://twitter.com/ksk_oue/status/1036941999830515712 (via nnmrblgksk)

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    「一杯のミルク」

       ある日のこと、貧しい少年が学費を稼ぐため家から家へと商品を売り歩いていた。わずか10セントしか残っていない中、空腹を覚えた。
       彼は次の家で食事を乞おうを決心した。しかし、ドアを開けたとき、とても愛らしい若い女性が出てきて怖気づいた。
       食事の代わりに、一杯の水を頼んだ。彼女は彼がとてもお腹を空かせて見えたので、大きなカップ一杯のミルクを持ってきた。彼はそれを、とてもゆっくり飲み干した。そして、「いくらですか?」と尋ねた。

       「お金はいいのよ。」彼女は答えた。「お母さんが言ったわ。親切したときは、絶対、見返りを望んではいけないって。」

       彼は言った。「本当に、ありがとう!」

       ハワード・ケリーはその家を離れ、身体的に元気になっただけでなく、神と人への信頼も強めた。彼はもうほとんどあきらめかけていたが、思いとどまった。

       それから歳月が流れて、その若い女性が重い病気になった。地方の医者は途方に暮れた。彼らはとうとう彼女を都市へ送り、彼女の病状の専門医を呼んだ。

       ハワード・ケリー医師は診察に呼ばれた。彼が彼女が来た街の名前を聞いたとき、彼の目が奇妙に輝いた。

       すぐに彼は立ち上がり、病院のホールに降りて行って彼女の部屋へ向かった。医者のガウンを身にまとい彼女に会いにいくと、彼はすぐに彼女だとわかった。

       彼は診察室に戻ってきて、彼女の命を救うために最善を尽くし、その日から彼女に特別の注意を払った。

       長い苦闘の末、闘いに勝利した。
       ケリー医師は事務所に承認のために自分に請求書を渡すように指示した。それを見て、彼は何か書き入れた。そして請求書が彼女の部屋に送られた。彼女はそれを開くのが怖かった、それを全額支払うためにおそらく彼女の一生涯を費やすことになるに違いなかったからだ。おそるおそる彼女がそれを見たとき、請求書の横に書いてある文字に気づいた。

       「全額支払い済み。あの時、ミルクをありがとう。 署名:Dr. ハワード・ケリー」



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    http://mylifeyourlife.net/2013/06/a-glass-of-milk/

    (via

    deusnatura

    )

    ええはなしや

    (via odakin)


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    drhaniwa:

    フィッシュアンドチップスと言い張る先輩

    Twitter / @kirino_0214


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    “社員10人程度の会社経営してる知人が「面接のときに給与・待遇面で突っ込んだ話をしてくる奴は、そいつの納得いく給料を払っていさえすれば真面目に長く働いてくれるから楽だ」って言ってたの思い出した。やりがいとか言い出すのは対策取りにくくて長続きしないのでダメなんだってさ。”

    - Twitter / techi_twisted (via y-kasa)

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    リクルート企業は、一般企業の紹介記事を1企画、1ページ単位で受注しているのだ。企業はクライアントゆえ、本当に客観的なコンテンツを書くことなど不可能。むしろ企業のお気に召すよう、美辞麗句で埋め尽くされた 「提灯記事」 になる。

     かつて私はライターとして、この業界から仕事を受けていたが、実際のところはさておき、企業の体質には「明るい未来が開けている」「風通しがよい」「グローバル化を推進する」「メセナなど社会的貢献を志向する」、人材へのインタビュー内容についても「やる気満々」「充実した企業ライフを過ごしている」という文脈での記述を要請されたことを覚えている。

     フリーランスの身ゆえ、これに従わないと即刻クビという匕首(あいくち)が突きつけられていた。美辞麗句の盛り方は、ある意味「カネ次第」。カネを盛ると話も盛られるという構図が出来上がっている。



    - 就活生が鵜呑みにする「就職ナビサイト」の危険性 かつて私も書いた“提灯記事” 元就活ライターの大学教授が激白 WEDGE Infinity(ウェッジ)

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    “因みにライザップは昨年スギちゃんとかいう吉本芸人のデブ使ってスカルプDの二番煎じ狙ったんだけど、このデブか全く怠惰だったので食事制限出来ずにライザップのウェブからスギちゃん挑戦中コンテンツがが静かに消えていったのは記憶に新しいよね”

    - 哲戸(´・_・`)次郎さんはTwitterを使っています (via kuzira8)

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    “なんと、脳は100歳まで成長し続けるそうだ。驚いた。そのためには、「身近にわくわくするものや人がいること」「年齢を20歳サバを読んで行動すること」「新しいことを学ぶ習慣をもつこと」そして、脳の老化を早めてしまう一番の原因は、当の本人があきらめてしまうことだそうだ。なるほど。”

    - なんと、脳は100歳まで成長し続けるそうだ。驚いた。そのためには、「身近にわくわくするものや人がいること」「年齢を20歳サバを読んで行動すること」「新しいことを学ぶ習慣をもつこと」そして、脳の老化を早めてしまう一番の原因は、当の本人があきらめてしまうことだそうだ。なるほど。
    (via megane-yarou)

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    “「今までの人生で、スポットが当たってこなかったような人ほど、アイドル活動にのめり込んでしまうんです。端的に言うと……、容姿があまりすぐれていないメンバーですね。地下アイドルをやっていると、どんなメンバーでも少ないながらも必ずファンがつきます。それも、ファンが少ないメンバーほど、数少ないファンが『僕が支えるから』と強烈に推す傾向にありますので。慣れないちやほや、初めてのスポットライトに狂った結果、せっかく良い大学を出て、有名企業に正社員として入社していたのに、辞めてアイドル一本で生きる、と言い出します」”

    - 人生狂った高学歴・地下アイドル…スポットライトに魅せられて | 日刊SPA! (via katoyuu)

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  • 10/29/18--00:51: drhaniwa: イイのか...


  • drhaniwa:

    イイのか コレで?
    滋賀県人、よく黙ってられるな…

    チーバくんがいるなら"シーガくん"とかいたらヒットするんじゃ?と思ったんだけど、調べたらもういる上にこのデザインに勝てる気がしないwww
    Twitter / @Sakura_Fubuki_


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    drhaniwa:

    日本でも見られる小鳥を集めてみました

    Twitter / @T_marohiko


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    電通新入社員が自殺 広告業界に蔓延するクソ長時間労働の根深い実態を書いておく
    電通の新入社員だった女性が入社1年目の12月に自殺したことを受け、月105時間の残業時間もあったことなどから労災と認定されました。彼女の冥福を心からお祈りいたします。当件について私はまったく知らないため、これ以上の言及を避けたいと思いますが、ここでは大手広告代理店の若手社員にとっては避けて通れない「長時間労働」について書いてみます。

    私は1997年4月に業界2位・博報堂に入り、2001年3月に退社しました。以後、フリーのライター・編集者・PRプランナーとして働いてきましたが、これまでに最も働いたのはどう考えても会社員時代だったと断言できます。フリーの方が悶絶するようなブラック労働をすると思われるかもしれませんが、間違いなく会社員時代の方が長い。今回は電通の方が自殺するという事態になりましたが、若者の長時間労働においては似たような面があり、これは広告業界の悪習ともいえるものです。

    なぜ、そんなことになるのかといえば、大いに影響するのが「所詮は下請け業者」である点です。ネットでは電通が日本の政財界すべてを牛耳り、猛暑やゲリラ豪雨まで電通が仕掛けたといった「ぬえ」のような存在として扱われていますが、実態として私が感じるのは、

    客に対して忠義を徹底的に尽くす社畜集団

    です。彼らはクライアント、そして昨今続出する「クレームをつけてCMオンエア中止に追い込む」一般人に対してめっぽう弱い。陰謀論はかなり誇張されたものです。彼らが強いのは、あくまでも下請けのプロダクションや芸能事務所、そして印刷屋等発注相手に対してだけです。

    こうした立場があるだけに、クライアントに対しては「御社のために誠心誠意頑張ってます! 電通の(博報堂の)総合力を挙げて御社の新商品、『ニオワナイZ』のトータルコミュニケーションプランを考えさせていただきます!」みたいな姿勢を取る。

    この直接クライアントと対峙する営業担当としては、社内のスタッフ(今回の女性はデジタル広告関連部門だったらしいですね)に対し、「今回は何としても競合プレゼンに勝ちたい。なにとぞよろしくお願いします。皆さんの力が頼りです」とやります。しかし、高圧的な営業だったら「いいか、おめぇら負け続けなんだから今回ぐらいはちゃんとやるんだぞ!」みたいなことを言うヤツもいる。こうした人が案外出世したりもする。

    ここから、打ち合わせ無間地獄が開始します。新商品の年間キャンペーンの競合プレゼンともなれば、10億円もの扱いになったりもする。それが取れるかどうかの瀬戸際なワケです。また、時々代理店を一社に任せることをクライアントが決めることもあります。「AE」と言うのですが、すべてを一社に発注するということです。これまでの電通・博報堂・ADKの3社体制だったものを、1社に絞るということです。もしその際の競合プレゼンで負けた場合はその営業チームは解散。全員が地方に飛ばされるなんてこともあります。

    営業が日々、クライアントから切られないよう配慮とペコペコプレイを重ねている中、そのプロジェクトにかかわったスタッフもかなりの荷重を強いられます。ここからは広告業界に巣食う「信仰」を紹介しましょう。

    ■直前までベストを尽くし、最良のものを作らなくてはいけない

    プレゼンが月曜日の朝10時だとしましょう。その場合に、チームが考えるのは、「タクシーの移動時間が30分。クライアント用資料のプリントアウトに40分かかる。企画書の修正には1時間ほど見ておこう。よって、この会議を終わらせるのは7時50分だ」みたいなことになるのです。

    要するに「最後まで考え抜いた」ことが重要であり、そうしたスタンスで仕事をやれば勝てるのだ、と考えている節があるのです。それでいて、深夜4時頃酔っぱらったクリエイティブディレクター(一番エラい人! 神みたいな存在)が「よっ!」なんて酔っぱらってやってきて「これとこれ、いいね。じゃ、後よろしく!」なんて言い、どこかへ行ってしまう。プレゼンをする人はその人の弟子なのですが、エラい人はプレゼンでは要所要所で「この表現に込めた意図はですねぇ…」なんて重低音の声で言い、なんとなく重鎮感ってやつを醸しだすのでした。

    この「最後まで頑張る(悪あがきをする)」ことは、当然残業時間の激増を意味するわけですよ。しかも、こういった時、チーム全員がいることが求められる。本来、若手社員は、企画書の根幹にかかわるというよりは、下調べをしたりするところで活躍することが多いのですが、「私もいなくちゃいけないかなぁ…」プレッシャーにより、結果的に本来はそこにいる必要もないのに徹夜に付き合うこととなる。

    そして、前出「忠義を見せる」方法としてプリントアウトする部数を10部ほど多くしておいて、「他の方にもぜひ共有しておいてください」なんてハハーッとお辞儀しながらやる。正直クライアントは「後でデータくれればいいんだけどね」としか思っていないのに。

    この考えが必ずしも仕事のスタンスとして正しくないと感じたのは私が2001年にライターになってからです。必死に最後までより良い文章にしようともがいていたら、編集者からは「あのさ、9時に校閲さんが見るの! そして12時には印刷所に送るの! 別に100点取らなくていいから、9時前に出して!」なんていう。ただ私は広告業界の出身なだけに「10時まで待ってくださいよ…」と言う。しかし、編集者は「あのね、校閲さんが待ってるの! そっちの方が重要なの!」と言いました。今ではこれでいいと思ってます。

    ■打ち合わせは、素晴らしいアイディアのためには必要なもの。全員出席を求め悶絶8時間マラソン!

    これも上と似ているのですが、結局大きなプレゼンの打ち合わせであろうが、「営業」「マーケ」「制作」「デジタル」「PR」「SP」の責任者だけが出て、後は各自が持ち帰り、部下に適宜指示をすればいいのです。しかし、なぜかプロジェクトチームの全員の参加が求められる空気があり、25人がズラリと並ぶ中、喋ってるのは「営業」「マーケ」「制作」のガハハオヤジ3人だけで、8時間も会議を続けるなんてことがあるのです。

    ■「てっぺん」(深夜0時)を超えてからの会議がカッコイイ

    こうした大人数が集まるだけに、なかなか時間の都合がつかず、「27時からですね」なんてことになる。すると、妙に高揚しているエラいオッサンがいるわけですよ。「いやぁ、オレら、パッツンパッツンだよなぁ」「3時ってなんだよw」みたいに。しかし、本来会議に参加する必要もない若者からすれば「私は21時に仕事が終わっていたのに、6時間も無為な『仕事してるふり』の時間を過ごさせられた…」と思う。しかし、文句を言おうにもなかなか言えない。それは以下に続く。

    ■ワシも若い頃は残業が多かった、だからお前もできるはずだ

    まさにこの通りです。広告業界のオッサンは、いかに長時間労働をしたかや、寝なかったかを自慢し、「寝ない=エラい」「残業長い=有能」といった判断をします。

    ■クライアントのところに行くには「お土産」が必要

    営業は連日クライアントの元に足しげく通います。それこそが「御社のことちゃんと大切に思ってますからね、ネッネッ、だから仕事下さいね」の意思表明になるからです。その際、毎日行っても正直話すことなんてないんですよ。その際に営業が言うのが「なんか『お土産』ないかな…」です。スタッフ部門の人にもなんらか新しいテクノロジーやらウェブサービスを紹介してもらい、「今度これを使ってはいかがですか?」みたいなことをする。

    だから、2000年代後半から2010年代前半にやたらと「Ustreamを使って記者会見を生配信しましょう!」「セカンドライフに仮想店舗を作りましょう!」みたいなバカ提案が続出し、軒並み企業が失敗したわけです。とにかく営業は「何かお土産を持っていかなくては…」と考え、クライアントも「社内で宣伝予算を取るためにも、なんか新しそうなことを提案しなくては…。そうしないとオレの社内の立場もマズいんだよな…。新しいことやれ、なんて役員からも言われているし…。そうだ、電通、博報堂、なんか持ってこい!」となるわけです。

    かくして、こうした「お土産」をスタッフがひーこらしながら作り、プレゼンに行き、実施ともなろうものならば、ますます忙しくなっていく。

    ■残業青天井批判をかわす必要アリ…。

    私は入社4年目の2001年10月に300時間残業をしました。これはまったく誇張しているわけでもなく、本当にそうだったのです。しかし、管理部門から言われたのは、「100時間以上はマズいな(労働監督庁とかの話でしょう)…。残りの200時間は分けてとってもらえないか?」と言われました。まぁ、会社が困るのもなんだな、と思い、200は適宜分けようかとも思ったのですが、そこから先も100時間以上の残業は続くのは目に見えていたため、「いつになったらオレはこの200をつけられるんだ!」と逆上し、会社を辞めてしまったというわけです。

    ちなみに電通なんて新入社員が富士山に登る研修があったりしてそれを聞いた瞬間、オレなんて「電通なんかに入らないで良かった!」と思ったものです。だから博報堂のことは今でも好きですよ。結局オレが会社を辞めて以降会社に就職していないのは、「会社員という生活はオレには合ってないな」と考えたからです。もしも会社員に戻らざるをえなくなったら博報堂に頭を下げて「なにとぞ雇ってください!」とやると思います(まぁ、落ちるだろうけど)。他の会社は行きたくありません。

    また、クライアントの中には広告代理店のこうした社畜精神を利用し、「今度CMもウチ、やるんで、今頑張っておけば・・・(チラリ)」みたいなことをやる例もあるわけですよ。

    それでは、オレはもう公の場でこの仕事をしたことを書いてしまったこともあるので、明かしてしまうがこの悶絶の社畜的構造について具体例を挙げて説明しておくか。

    2000年11月1日、アマゾンドットコムが日本上陸。その立ち上げのPRチームに私も入りました。それがまさに前出「300時間残業の10月」にあたるわけです。10月16日から10月31日まで家に帰った回数は4回。滞在時間は5時間といった状況で必死に準備をしていましたが、すべては営業のこの言葉をオレも信じたからでした。

    「今回、この日本上陸PRを成功させたら、クリスマスにドーンとCMの仕事もらえるから、今は安い金額の仕事ではあるが、頑張ってくれ。中川たちが今回頑張って成果を出してくれれば、CM受注に繋がるんだ。頼む!」

    私はその営業担当のことも好きでしたので「営業が一番大変なんですから。オレらもなんとかそのCM獲得のために貢献します」なんてやったわけですよ。CMというのは、広告代理店にとってはもっとも割がいい仕事です。テレビ局に仲介することで手数料収入を稼げますからね。そして、華々しくアマゾンの話題は各種メディアで記事や企画(広告ではない)として取り上げられ、「上陸PRは大成功!」みたいなことになりました。

    この段階で、我々博報堂社内のPR担当部署、そして一緒にチームを組んだPR会社のスタッフは相当疲弊しております。今回電通の社員がこのようなことになりましたが、下請けであるPR会社や制作会社の若者の疲弊にも今後は目を向けていただければ、と思います。

    話は戻ります。我々社畜集団・博報堂のPRチームが忠誠心を出しまくる中、クライアントたるアマゾンは、市川塩浜にある配送センターのPRをやってくれ、と言います。当然クリスマスのCMが欲しい我々は「喜んで!」とまさに居酒屋の「庄や」のごとく答え、取材の依頼があった時など、クソ忙しいのに田町から市川塩浜まで行き、記者のアテンドとかをするわけですよ。あぁ、うぜぇ、めんどくせぇよ。くそ。

    それで、「配送センターPR」が終わり、そろそろCMの話が来るかな、と思ったら「クリスマスのラッピングを作ってください」みたいな話が来る。正直、CMと比べたらあまりにもショボい仕事です。しかし、営業は「クライアントとこうやって地道に関係を作っていくことが大きな仕事に繋がる」と言い、結局この安い仕事を受けるわけです。で、CMはどこ行っちゃったの?

    クライアントは「まだ初年度なのでありませーん!」なんていけしゃーしゃーと言う。そうこうしている内に、「札幌にコールセンターができます。地元の雇用にも役立つのでPRお願いします!」という依頼が来て、年が明けた2001年、ワシも札幌通いが始まりました。

    結局10月の300時間残業でキレたオレは11月2日、会社には「もう辞めます」と宣言していたのですが、これが最後の仕事になりました。正直「クソアマゾン、お前らの『エサぶらつかせては安い仕事やらせる仕事にはヘドが出るわ、うんこ食ってろ!」という気持ちだらけでしたね。

    で、かくして私は無職になったのですが、広告業界ってのは基本はカネを握っている「クライアント様」にいかに忠義を尽くすか、そして若手は「怒られたくない」という気持ちで無理をしている状況があることをここに書かせていただきました。

    広告業界の若者、死ぬなよ。頼むぞ。



    - http://jnakagawa.blog.jp/archives/1061586847.html (via yaasita)

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    “年齢を重ねてわかることはたった一つ、年齢を重ねても何もわからないということだ”

    - はてなブックマーク - 年齢を重ねてわかったこと:哲学ニュースnwk (via hepton-rk)

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    yasunao:

    頭おかしくなりそう

    hajiさんのツイート


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