522:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/29(月) 09:40:22.61
ウチの嫁も寝言が楽しいぞ
夜中に「行かなきゃ・・・行かなきゃ・・・」ってうなされるもんだから「どこに?」って聞いたら
「岡っ引き検定・・・」
”- 既婚者の墓場 : 夜中に「行かなきゃ・・・行かなきゃ・・・」ってうなされるもんだから「どこに?」って聞いたら (via plasticdreams)
522:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/29(月) 09:40:22.61
ウチの嫁も寝言が楽しいぞ
夜中に「行かなきゃ・・・行かなきゃ・・・」ってうなされるもんだから「どこに?」って聞いたら
「岡っ引き検定・・・」
”先日、薬膳を食べに行ったのですが、メンツの1人に、すごく痩せてスタイルがいいのに異常に大食らいの女性がいまして。
どのくらい大食いかというと、
● 出てくる食べ物は全部瞬殺
● 最後のチャーハンが茶碗一杯分しかなくて半泣き
● 他の人が残したデザートを即座にゲット
● たぶん帰りにラーメン屋に寄った
というくらい徹底していまして、だから
「なんでそんなに食うのに、そんなに痩せてるんですか?」
って聞いたんですよね。
そしたら、なんか奇妙に説得力がある答えが返ってきたんです。
彼女曰く、
「姿勢を良くしているからです」
とのこと。
今、急に姿勢を良くしませんでしたか?
いいんですよ。僕も今、これを書きながら、背筋を伸ばしましたから。
彼女曰く、姿勢を保つのはそれなりの筋力がいるので、カロリーも消費するとのこと。
なんかいいこと聞いた気がします。姿勢がいいと、デブでも綺麗に見えますもんね。
ぜひみなさまも、今日から大食いの姿勢美人になってくださいまし。
意外と効きそうな気がする、「たくさん食べてるのに太らないコツ」:小鳥ピヨピヨ
(via
) (via
) (via
) (via
) (via
)
2010-03-16 (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
)
2012-04-10
(via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
) (via
)
(via gkojax)
(via quote-over100notes-jp)
(via
)
2014-07-19
(via mmtki)
952 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 16:15:09 ID:+SIM4UjM
もういっその事、農家やろうと思ってる奴いない?
YESか農家で答えて
961 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 01:20:40 ID:70zBOf48
»952
地味に拒否権がないwwwww
インドの学生団体 The Education TreeのPRより。
「あなたが正しいからといって、私が間違ってるわけではない。あなたが私の立ち位置から人生を見たことがないだけ」
誰と接するにあたっても大事にしたい考えだ。
【支那(しな)China】
十九世紀末まで「中国という国家も、中国人という国民も無かった」
・
日本製の「支那を経由した中国
いっぽう、おとなりの中国では、国民国家化は、どのような道筋をたどったのだろうか?
・
『史記』に書かれた神話ではなく、実際に中国ではじめて皇帝が誕生したのは、秦の始皇帝が、西暦紀元前二二一年に天下を統一したときだ。そして、この時代にも、「中国」という字面はあったけれども、意味がいまとは全然違っていた。
・
第一の意味の「中国」
「中国」という言葉の、いちばん古い意味は?・・・中央の都市、すなわち首都のことだった。それが、紀元前二世紀ごろになると、陝西省の渭河(いが)の渓谷から、黄河の中・下流域の河南省・山東省にかけての、諸王国の都が集中してもっとも都市化していた地帯を指すようになる。
・
第二の意味の「中国」
中国文明で世界を意味する「天下」は、皇帝の影響力が及ぶ範囲のことで、すなわちいまで言う中国だが、その「天下」には都市化した「中国」地帯と、都市化していない「蛮夷」地帯の二つが含まれていた。『史記』の「封禅書(ほうぜんしょ)」の前一〇三年の頃に、そういう分けかたが出てくる。
これが「中国」の第二の意味だ。
・
第三の意味の「中国」
このように第一、第二の意味の「中国」は、皇帝の天下、いまで言う中国よりもせまい範囲を指した。それが、今日のような、中国という国民国家を意味するようになるまでには、とちゅうで満州語と、日本語がかかわっている。
十七世紀から二十世紀のはじめまでの清朝の時代には、満州人と漢人は皇帝に直接支配されていた。この二つの種族を総称して、満州語で「ドゥリンバイ・グルン(dulimbai gurun)」と呼んだ。
これは「まんなかの領民」という意味だが、これを漢字に翻訳すると「中国」になる。
これに対して、皇帝と同盟関係にあって自治を認められているモンゴル人、チベット人、東トルキスタンのイスラム教徒は、満州語で「トゥレルギ(tulergi)」と言った。これは「そとがわ」という意味で、漢字に翻訳すると「外藩」、つまり「そとの垣根」になる。この満州語起源の「中国」が、「中国」の第三の意味になる。
・
ところで、日本語の「支那」は、英語の「チャイナ(China)」と同じことばだ。
秦の始皇帝がはじめて、いまで言う中国をつくったので、外国の人々は中国を「秦」と呼ぶようになった。
漢字の「秦」の読みかたは、七世紀の隋の時代では「ヅィン(dzin)」、現代の中国語(普通話)では「チン(qin)」だ。
これが、インドに伝わって「チーナ(Cina)」となり、ペルシア語では「チーン(Chin)」となり、アラビア語では「スィーン(Sin)」となった。
十五世紀の末になって、ポルトガル人が大西洋からアフリカ大陸を回って、インドに到着し、そこで、東方にチーナという国があることを聞いた。このインド語の「チーナ」がポルトガル人の口から西ヨーロッパに伝わって、英語の「チャイナ」、フランス語の「シーヌ(Chine)」、ドイツ語の「ヒーナ(China)」になったのだ。
▼
一七〇八年、ローマ・カトリック教会のイエズス会に属する、シドッティ(Giovanni Battista Sidotti)というイタリア人宣教師が、キリシタン禁制の日本に潜入をくわだてて、屋久島で逮捕され、江戸に連れてこられた。
新井白石はシドッティを尋問して、聞き出した世界知識を『采覧異言』(一七一三年成立)という書物にまとめた。
このなかで、新井白石は、イタリア語で中国を言う「チーナ(Cina)」を、漢字で「支那」と翻訳した。この「支那」は、もともと仏教の経典を中国で翻訳したときに、インド語の「チーナ」の音に当てた漢字だったが、新井白石がこの音訳漢字を探し出してきて、イタリア語の「チーナ」に当ててから、日本では中国を「支那」と呼ぶようになった。
▼
十九世紀の末になって、多数の清国留学生が日本に押し寄せてきた。
かれらの大多数は漢人だったが、かれらは日本で、日本人が、漢とか、唐とか、明とかいう、歴代の王朝の名前にかかわらず、漢人の国を「支那」と呼ぶことを知った。当時は、民族主義が生まれつつある時代だったので、清帝国の支配者である満州人から、本来の漢人の国を区別する「支那」という名前は便利だった。
こうして「支那」という日本語が清国に伝わったが、漢字は意味をあらわす文字なので、「支那」のような無意味な音訳はしっくりしない。そこで満州語からの翻訳の「中国」を借りて、日本語の「支那」に当てたわけだ。
まもなく二十世紀のはじめに清朝が滅亡して、漢人の中華民国ができ、ここにはじめて、中国という名前の国民国家が誕生した。
こうして「中国」は、現代のような「中国」という意味になったのだ。
これが第四の意味の「中国」で、日本語の「支那」の言いかえである。
“この人を好きになっちゃいけないと考えだしたら恋の始まり。この人を好きでいなきゃいけないと考えだしたら恋の終わり。”— (via xomorickyxo)