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押井守、『ブレードランナー』を語る!
決定的な映画
──『ブレードランナー』のオリジナル版が公開された1982年当時というのは、押井監督は?
押井 当時は『うる星やつら オンリー・ユー』(劇場版第一作)の追い込みで忙しかった時期かな。無理やり時間作って劇場に行ったと思います。寒かった頃のような記憶がある。
この映画は、事前に注目してたし「絶対見に行くぞ!」と気合を入れてた作品なんだけど、想像していた以上に刺激的でしたね。見てしばらくは、あまりのショックに呆然としてた。その後の僕の映画制作の転回点となった作品だし、ある意味、僕にとっての決定的な映画だった。もう1本は中学生の時に見た『2001年宇宙の旅』なんですけどね。でも自分が実際に監督になって以降、本当に映画について考えさせられた作品はこの『ブレードランナー』。この映画は、それまで僕が漠然と考えてたことに確信を与えてくれたんです。つまり「映画はビジョンだ」ということですね。他の何よりもビジョンが大事だ、という確信を、僕はこの映画から得ました。
『うる星やつら』のシリーズ以降、自分で実写映画を撮るようになったんだけど、本当にこの作品の凄味がわかったのは『攻殻機動隊』を始めた時だったんですよ。近未来が舞台のSF、つまり架空の世界を映画の中に作り上げる時に、どうしても『ブレードランナー』から脱却できないんですよ。どうしても似てしまう。僕だけではなくて特撮やアニメーションをやってる人たちはみんなそうだと思う。この作品をよくSF映画の金字塔だとかモニュメントだとか言いますよね。確かに記念碑的な作品だし、エポックメイキングな作品ではあるんだけど、僕の印象としてはゲート(門)に近いですね。そこをくぐらないと決して先には行けない、たったひとつの門。それ以外の門が見つからないんですよ。それはどういうことかというと、存在しない架空の世界や未来的なイメージを作品の中に作り上げる時に、リドリー・スコットが『ブレードランナー』で取った方法論というのがあるんですが、それ以外の方法論が未だに見つからないんです。
『ブレードランナー』が確立した、唯一無二の方法論
──それはどういう方法論なんですか?
押井 これは、この作品を見てすぐにわかったわけではなくて、自分自身がいろんな映画を作る過程でだんだん核心に気がついたということなんですけどね。つまり人間というものは「すでに記憶にあるモノしか認識できない」ということ。本当の意味での新しい映像というものは、誰にも理解不能ですから。
映画というものは、記憶と照合しながら見るものなんでね。で、未来なんかの架空の世界を描くからこそ、見慣れたものでディティールを埋め尽くさないと、その世界にはリアリティが伴ってこない。信ずべき世界にならないんですよ。それはこの映画で言えばダウンタウンの雑踏であったり、最初のウドンであったりとか「強力わかもと」(劇中で芸者のCMがたびたび流れる、胃健強壮剤。日本のわかもと製薬株式会社が現在も発売している)とかね。
新しいもので埋め尽くすのは、未来の世界とか架空の世界にリアリティを与えるのとは反対の効果を生むだけであって、まずは見慣れたものをどう上手く使って見せるか。たとえば主人公デッカードがアパートでウィスキーを飲む四角いグラスとか。僕の中では、ああいうものが忘れられない存在感を持ってる。ちょっとした生活の中のディテールとか、着ている服とか、その場に置かれている食べ物とか、そういうものでその世界を埋め尽くしていく。つまり自分の記憶にあるもの、現実に存在しているもの、あるいは過去に存在していたもの、そういったものをいかに上手く使いこなすかということが、架空の世界に独特のリアリティを与える鍵になる。
──そういうものがあるからこそ、あの巨大ピラミッドのビルが建ち並ぶ街が、信じられるものとして見えるということですか。
押井 そうですね。実は劇中では、本当の意味で現実に存在しないものといえば、スピナーとか、タイレル社の巨大なピラミッドビルとか、それぐらいしかないんですよ。タバコに火をつけるライターとか古いピアノとか、そういったものって現に存在してるもの。実際には存在しないものと、自分の記憶にあるものや過去に存在したもの、それをどう組み合わせれば架空の世界にリアリティが宿るのか、ということです。これは、劇中の重要な場面で何を見せる(とリアリティを抱かせるのに効果的)かということでもある。
ハリウッド型のSF映画には、登場人物が見たことも無い珍奇なコスチュームを着てるような作品がよくあるけれど、それは未来世界にリアリティを与えることに対して何も寄与していない。むしろ有り得ない世界という印象を与える方向にいってしまって、臨場感や存在感をどんどん削いでいってしまう。奇抜なコスチュームを着てるから未来を感じるわけじゃないんです。逆に映画『エイリアン』なんかだと、宇宙船の中でツナギを着てバスケットシューズを履いてる。上にアロハを羽織ったりしてね。だからこそあの宇宙船にリアリティが宿ってくる。特に役者周りの小道具が重要ですね。
──食事の風景とか日常風景とか。
押井 そう何を食べてるかとかね。だから、最初にデッカードがウドンを食ってるところから入るでしょ。ああいうところから入っていくということで、架空の世界を描くには日常性をどう表現するかというのが実は肝なんですよ。
──そうすると『パトレイバー』では東京、『攻殻機動隊』では香港をロケされたわけですが、そうした実際の街をベースにして作品世界を作り上げていくと。
押井 『パトレイバー』の時も『攻殻機動隊』の時も、方法論は同じなんですよ。ロケーションに行って、実際に存在する街角や川べりに立って、そこに何を足していくかを考える。普通の踏み切りの傍らにパトレイバーが立ってるだけで、一種の未来感が出てくるわけですよ。でも未来的なビルの谷間にパトレイバーが立ってたとしてもそれは全然、未来には見えないはずなんですよ。それは未来じゃなくてただの絵空事(えそらごと)になってしまう。
映画では、ある意味では現実以上に現実感を宿らせなきゃいけない。そのためにどうしたらいいのか。古いものを出すんですよ、むしろ。古いものの方が圧倒的な存在感があるわけで、そのパワーを借りて新しい要素をちょっとだけ足す。そうすることで、存在しない世界に日常レベルと同じだけのリアリティを醸し出すことが可能になる。SFなんか典型的にそうですね。
リドリー・スコットという監督
──押井さんはアニメーションの監督で、レイアウトというか構図をすごく考える人だと思うんですが、『ブレードランナ-』の中で「やられた! この場面はお見事」というようなシーンはありますか?
押井 始まってからの10分間ぐらいというのは圧倒的ですよね。何も起きないんだけど、その世界にどんどん入り込んでいくあの感覚は凄いね。あの未来のロスアンゼルスの撮影用セットって、実際にはテーブルの上に乗っかるような小さいもので、ただ銅版を切り出して重ねただけのものですよ。そういう、その辺にあるもので何故ああいうことができるというと、やっぱり作り手に明快なイメージが既にあるからですよね。まずビジョンが先にあって、そのために何を作ればいいかがわかっているから。作ってから考えましょうじゃなくて、まずビジョンとかビジュアルが最初から頭の中に完成していてる。
もちろんそれをシミュレーションとしてイラストで起こしたりするわけだけど、実際にはああいうありもしない未来のロスアンゼルスというものは、テーブルの上で撮影可能なんだなあ、と。そういうことが驚きであると同時に、映画とはそういうものなんだと思った。そこに吹き上がる炎を合成するだけで、地獄のようなというか冥府のようなロスアンゼルスが出現する。だから、もう冒頭からやられちゃうわけですよね。
たぶんリドリー・スコットが本当にやりたかった導入とはおそらく違うんだろうけど、全景から入って街角のデッカードに持っていくというあのやり方は、僕はあの映画にふさわしかったと思うし、あるべき姿だったと思う。
もともとリドリー・スコットという監督自体が、僕に言わせるとレイアウトの監督なんですよ。ものすごくレイアウト能力の高い監督です。彼の映画からずいぶんレイアウトをパクってますよ、僕は(笑)。
──それ、バラしちゃっていいんですか(笑)。
押井 それは誰でもやってることだから(笑)。逆に言えば、僕のアニメーションのレイアウトもずいぶんパクられてるだろうし、それ自体は構わないことなんですよ。それをネタ元とは「違う目的」で使うのであれば。僕がパクるといっても『ブレードランナー』のバチモノを作るのが目的なわけじゃないしね。映画監督というものは例外無しに、先行する作品からパクることで作品を成立させるんですよ。最近はインスパイアって言うんだっけ(笑)。それ自体は恥でもなんでもないし、僕自身、どれだけパクられても何とも思わない。それは盗作とか剽窃とかとはおよそ関係ない、次元の違うことですね。『ブレードランナー』の公開後にこれを参考にしなかったアニメーション作品というのは、おそらく無いと思う。
押井 ああいう、雨が降ってる未来の街角とか、ガスが流れてるとか、ネオンが点滅しててとか、この作品を見た誰もが、おそらく一度はやってみたいと思うはず。やってみたいという誘惑に勝てないんですよ。『攻殻機動隊』で香港を参考に架空の街を作り上げましたけど、その時のスタッフとの合い言葉は「『ブレードランナー』からどれだけ離れられるか」でした。でも思わず雨が降っちゃうわけですよ(笑)。どうしても、そうしたいという誘惑がある。
──雪じゃダメなんですね(笑)。
押井 雪じゃダメ(笑)。『パトレイバー2』では雪を降らせましたけどね。だからそういう、どうにも雪だの雨だのガスだの霧だのが使いたいというのがある。もともとあのガスっていうのは、リドリー・スコットの得意技なんですよ。他の作品でも多いし、この作品ではアパートとかデッカードの部屋の中ですらガスで煙ってる(笑)。まあ後になって考えれば突っ込みどころはたくさんあるかもしれないけど、あのガスの演出が、あの街の存在感に大きく寄与してるのは確かです。ある意味、映画というのは合理性を無視してでもイメージを優先させることで、強引に世界を作り上げてしまうことの方が大事なんであってね。
未来を描くすべての作品は『ブレードランナー』という門を通る
──あの感じをアニメーションで再現するというのは、相当むずかしいんでしょうね。
押井 基本的には無理です。『イノセンス』を作った時にある程度それに近いものを実現するのを目標にしたんですけど、その時もスタッフは、まず『ブレードランナー』を見ちゃうんですよね、思わず。見るなと言っても見ちゃうんですよ。で結局「ここから出発してどこまで行けるか」を合い言葉にして作業するわけ。
──やっぱり『ブレードランナー』が基点になると。
押井 だから、誰もが通らなきゃいけないゲートなんですよ。未だにこのゲート以外に、架空の世界に入っていくための門が見つからないんです。これは別にアニメーションだけじゃなくて、毎年毎年公開される近未来の架空都市なんかを扱った映画も、すべて結局はこの『ブレードランナー』というゲートをくぐるしかない。だからこそこれはエポックメイキングな作品足りえてると言えるわけで、これはそこまで重要な作品なんですよ。だから今でもこうやって新しいバージョンが発表されたりする。
今回のバージョンがどれだけ変わっているかはともかくとして、『ブレードランナー』をスクリーンで見る機会自体がなかなか無いわけだから、たぶん今日のお客さんもそういうつもりで来てるんだと思いますよ。上映終了は真夜中になるんだから、帰りのあても無いのに関わらずね(笑)。
まあ、何かやるたびに思わずそこに立ち返っていく、それがエポックメイキングと呼ばれるに値する映画の条件なんですよ。
──例えば監督の『イノセンス』などにも『ブレードランナー』から得たものは込められていたんでしょうね。
押井 両者はカメラワークが違うだけですね(笑)。それ以外は、向こうはミニチュアでやってて僕たちはCGでやってるだけです。基本的には、圧倒的な都市の全景から入ってカメラが寄っていってという風に、同じことをやってますよ。そのガイドとしてヘリコプター飛ばしたけど。
あの作品では「溶鉱炉のような街」という設定で始めたんだけど、坩堝(るつぼ)のようなというか、ものすごく活性的なエネルギーに満ち満ちて混沌としてる街。でも結局そこから先はネオンがギラギラしてるチャイナタウンみたいなところに話がスッと入っていくんですよ。同じでしょ? 何か違う方法はないかと何度も考えてみたんだけど、結局これでやるしかないという結論に行き着いた。圧倒的なビジュアルを見せるところから強引にお客さんを引きずりこむというあの手法にね。最初の勝負で勝てば、その後は少々のことは目をつむっていただけるんですよ(笑)。
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