買ってあげる感覚よ。わかんねえかなあ”
- 【2ch】日刊スレッドガイド : 【PSP】アイドルマスターSP 服1000円 (via yaruo, sho) (via gkojay) (via hetaremozu)
何年か前、「日本カメラ」のコンテストで選評をしていた金村修のコメント。銀賞でこれである。圧倒される。
同じく金村修の、銀賞の作品に対するコメント。抗議が殺到したらしいが、全部まとめて本にして欲しい気がする。
同じく金村修の、銀賞の作品に対するコメント。抗議が殺到したらしいが、全部まとめて本にして欲しい気がする。
https://twitter.com/tadataru/status/533466656366788608
民主党が「安部首相は経済政策に失敗した」とか騒いでいますが、ここで歴代内閣と経済を映す鏡である日経平均の動きを比較してみましょう。 pic.twitter.com/LJX9IrEEdx
バス内、DQNが大声で携帯。
運転手さん注意「他のお客様の迷惑になりますので・・」
DQN「お客様は神様やろが!」
運転手さん黙る
DQN大声電話再開
運転手さん再度注意「他の 神様 の迷惑になりますので」
他の乗客「クスクス・・」「クスクスクス・・」
DQN真っ赤、次の停留所で降りる。超田舎。どうみても目的地じゃありません。
地球と月の間には太陽系の全惑星をちょうど並べることができます | BUZZAP!(バザップ!)
太陽系をめぐる惑星。木星や土星は気が遠くなるほど巨大ですが、実は全部地球と月の間に並べることができてしまう…という画像が話題になっています。
地球と月の間は38万4400km。この間に水星(直径4879.4km)、金星(直径1万2103.6km)、火星(6794.4km)、木星(14万2984km)、土星(12万536km)、天王星(5万1118km)、海王星(4万9528km)の7つの惑星を並べるとこの通り、ほんの8030kmのみを残して綺麗に並べることができてしまいます。
825 :名無しさん@九周年:2009/03/02(月) 17:06:06 ID:MFT5ytAJ0
»788
日本の車検の基準ってアホらしいのが結構あるな。
一例として、クラクションのマーク。
ハンドル中央のクラクションボタンの部位には、必ずラッパのマークが必要で
これがないと車検は通らない。
昔、ナルディのカッコいいハンドルに付け替えた時に、そのままでは車検が通らないので
正露丸のパッケージのラッパのマークを切り取って、ハンドルにセロテープで張って
車検を通した。
ちゃんと通った
ここまでやっている販売店があるのか、と感心する一方で、「レクサスを買えるような経済力のある人って、世の中でこんなに大切にしてもらえるんだなあ……」なんて、溜息をついてしまったのもまた事実。
こんなにサービスをしてもらえるのも、顧客がそれだけお金を落とせる人たちだからだし、レクサスが「売れると儲かる高級車」だからなんですよね……
現在の日本には「貴族」はいないはずですが(池田貴族さんも亡くなられてしまいましたし)、経済力がある人には、こういう世界が広がっているのか、と、あらためて思い知らされました。
「すべての顧客が同じサービスを受けられる」という発想は、「日本人的な幻想」なんだろうけどさ。
レクサスには、こんな機能もあるそうです。
実はそんな時、レクサスにはたいへん頼りになる機能が装備されている。「G-Link」だ。このボタンを操作することで、全国どこにいてもレクサス本部にあるオーナーズデスクに電話が繋がる。
よく、銀行や保険会社のサービスセンターへ電話をかけると、「預金に関するお問い合わせは、7のボタンを」などと録音が再生され、それを何度も繰り返さないと肝心の要件が解決しなくてイライラすることがある。
しかし、このオーナーズデスクは、生の人間が24時間電話に出て対応してくれるという優れもののシステムだ。事故や故障だけでなく、病気になったりケガをしてしまったりした際にも警察や消防署と連携してオーナーをヘルプしてくれる。もちろん、道路の混雑状況、はたまた、映画の上映時間やレストランの予約など、コンシェルジュの役割も果たす。
僕はいままで、レクサスのような「高い車」を買おうと思ったことはなかったのですが、高級車というのは「車という乗り物だけを売っている」わけではないことが理解できました。
自分が買えるかどうかは別として、ね。
”お世辞や謙遜でもなんでもなくて、正直オイラが漫才をバリバリやってた時代より、今の若手の実力あるヤツラの漫才のほうが、絶対面白いと思うよ。そういうヤツラに上から目線で物申すのは、カンベンだぜってね。それに同じ漫才でも、オイラがやってた頃のものと今のものじゃ、ゼンゼン「質」が違うんだよな。
まず「尺」が違うからね。オイラの時代の漫才は、テレビでは7分程度、寄席やストリップ小屋の舞台じゃ15分はやってたんだよ。だけど今のお笑い番組を見てると、ネタは大体4〜5分にまとまってるよな。だから、やり方もまったく違ってくるんだよ。
オイラの頃は、テレビにしても舞台にしても、漫才を始めながら客の顔を見て場の空気を読んで、前振りやスジ振りをしっかりやって、余計な脱線を挟んで温めていって、ってことをステージの上でやってたわけ。だから客のほうも聞いてるうちにジワジワ面白くなってくるし、芸人のほうもドンドン乗ってくるっていう「流れ」が大事だったんだよ。
だけど、今の芸人にはそんな時間が与えられてないわけでさ。余計なものを全部削ぎ落として、次から次にドンドン「オチ」を繰り出していかないとダメなんだよ。
昔の漫才と今の漫才の違いってのは、まさしく「レコード」と「iPod」の違いだよな。オイラの頃はレコード針をレコードの上に落としたりするプロセスから、「プチプチッ」ていうノイズまで「味」だって言って楽しんでたわけだけど、今の漫才はアルバムの中でも余計な曲は外して、好きなものだけ抽出して、ピンポイントで取り出してるっていうことだよ。
まァ、芸のレベルは上がったけど、アナログ的な味はなくなっちゃったよね。そっちのほうが面白くてウケるからそういう流れになってるわけで、今さらジジイがとやかく言うことじゃないけどさ。
”